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『萩松深夜のワンドロワンライ一本勝負』様より、お題のみお借りしました。
お題「靴下」(第59回 2023年11月11日出題)
DD萩松とモブ同輩、ハピエン。
『申し訳ありません! 萩原研二、寝坊しました!』
教室のホワイトボード側の引き戸を開けた萩原は拙いフランス語で口上を述べたのち、九十度近い礼をした。
国立某大学一限目開始から二十分。フランス語を受け持つ講師はペンを持つ手を止めて遅刻者を見る。齢五十、日本人の女性と家庭を持ち日本に住む恰幅の良いフランス人の男性は、日本人にはできない自然な動きで大きく肩を竦めてみせた。
『おはよう、ケンジ。ここまで元気に謝る学生は三年は見てないよ。元気そうで何よりだ。言い訳を聞いてあげよう、遅刻は遅刻だけどな』
『はい! 私は素敵な夜を過ごしました!』
萩原のフランス語は講師に比べれば単語を並べただけの片言だ。しかし毎時間最前列で授業を聞いていただけはあり、ヒアリングの出来は良く、何を言われたか理解しているようだ。
ハハハと笑い、出席簿に印をつける講師に座るよう促され、萩原はほぼ決まっている空いている席に座った。
「おっはよ、萩原。さすがモテる男は寝坊してもオシャレだな」
「おはよ、安藤……ん? 褒められてないな、俺。なんか変?」
「靴下」
示し合わせることなく隣に座ることが決まっている同輩の安藤が、ニシシと目線を下げる。釣られて萩原も足元に目をやり、左が紫、右が青になっている靴下に気づいてがに股になった。
「うわ、マジか」
「いやーモテ男が履くとちぐはぐな組み合わせでも『オシャレなのかな?』と思える不思議。得だねー」
『ケンジ。遅刻した上におしゃべりとは課題も完璧と見た。訳してくれるかい?』
講師に指されて、萩原はタタンッと足を机の下で揃え、テキストとノートを捲り、幸いにもこなしてあった日本語訳を読み上げる。
安藤と萩原は高校時代からの仲だ。安藤は中学までは空手部だったが肩を痛め、高校からは週二の情報処理部に所属し、頭で生きていくことに舵を切っていた。よって萩原がモテて、勉強もできて、空手で名を馳せていたと思ったが実家が倒産して退部し、バイト三昧になっても底抜けに明るく三年間を過ごしたことも、比較的近い距離で見ていたため知っている。もちろん、その隣には松田陣平がいたことも知っていた。喧嘩に滅法強く生傷をよくこさえていたが、萩原の隣にいるのだから悪い奴ではないと安藤は見ていた。事実、傷の手当はもちろん、ぴょんぴょん跳ねる癖毛なのか寝癖なのかわからない髪を萩原はよくいじっていたし、膝の上に載せたり、ハンドクリームを塗るなど接触が多かったが、松田は嫌がる素振りを見せなかった。大変整った顔立ちで、眠そうだったり不機嫌そうだったりする目つきが少しもったいなかったが、萩原を前にするとくりくりと大きく輝いた。親が不祥事を起こした過去もあったらしいが、誤認逮捕の事実を一行だけ知っていた安藤は、出会った高校時代からの関係性でフラットに接していた。
偶然にも同じ大学に進学したこともあり、嫌う理由もなかったため授業が同じなら隣同士に座り、会えば食堂で一緒に昼食をとっている。松田はこの教室にいないが、単にフランス語を履修していないだけで、別の教室では勉学に精を出しているだろう。
九十分の授業を終え、講師に再度謝罪した萩原は次のコマの教室へ向かうべく安藤と廊下を歩く。同じく一年生が吐き出された廊下はひどく混んでいるが、ふたりとも慣れたものだった。
「あ、陣平ちゃん! 待った?」
隣の隣の教室から出てきた松田に萩原が手を挙げる。この曜日は、松田が萩原と安藤を見て教室から出て合流するのがお決まりだった。安藤と松田が軽く挨拶を交わす。
「で? 昨日は何してたんだよ、モテ男」
「昨日? 陣平ちゃんと豚骨ラーメン食った」
「はア? どんな素敵な夜を過ごしたのか期待したのによ!」
萩原の発言に何かを誤魔化した風はなかった。萩原は「ハネてる」と笑い、盛大に寝癖のついた松田の髪をいじっており、安藤は両者の肩を小突く。
「安藤は豚骨嫌い?」
「何で俺も殴られてんの?」
他愛のない会話にからから笑う。「確かに美味い豚骨ラーメン食えた夜は素敵だろうけどさー」と人混みに飲まれないよう安藤は萩原と松田の後ろに回り、そこで「あれっ」と声を上げた。
「今日は松田もオシャレだな!」
「?」
とん、と軽く自らつま先で床を蹴って、松田の足元を示す。クエスチョンマークを浮かべて廊下で止まり、松田はジーンズの裾を軽く引っ張り、そこで青と紫の組み合わせの靴下を見た。「え?」、片足を上げて紫の靴下を見て、次いでチラリと萩原の足元、萩原の顔へと目線を動かす。萩原が軽く首を傾げ、両者の間で一瞬アイコンタクトが交わされた。
「お揃いか? 同じメーカー?」
「あー……」
「いやー……」
「もしかしてマジでこういう履き方流行ってンの? 仲良いな、ふたりとも!」
素敵な夜と寝坊した朝、二足をふたりでちぐはぐに履いている事実は、残念ながら安藤の中で繋がらなかったようだ。松田は普段通りの表情に戻って歩き出し、萩原はにこりと首肯した。
「まあね」
安藤には推理力がなかった。
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