http://kashima.kurofuku.com/%E8%90%A9%E6%9D%BE/%E3%80%8E%E5%AF%84%E3%81%9B%E5%90%88%E3%81%86%E9%9F%B3%E3%80%8F『寄せ合う音』
『萩松深夜のワンドロワンライ一本勝負』様に参加。
お題「イヤホン」(第69回 2024年1月27日出題)
DK萩松、ハピエン。
右耳に英語が流れる。聞き取れた単語をノートに書き、何を言っているのか、強いては何を聞かれているのか考える。隣でサラサラサラサラッ、とノートにシャープペンを走らせる音がして、俺も遅れてペンを走らせる。
カチッ、と停止ボタンを押す軽い音がした。
「フーッ! 神経使うな、これ」
伸びをしながらイヤホンを取ると、隣で同じように左耳からイヤホンを外そうとしていた萩が「しー」と唇に指を当てた。図書館の一角であることを思い出して、身を縮ませた。
塾に行っていない俺たちは土曜は図書館、日曜はそれぞれ自宅の自室で大学受験の勉強に励んでいる。入試が終わるまではしばらくデートもお預けだな、と言ったら勉強にかこつけてこうして時と場所を共有することになった。それなりに緊張感のある空間、知った仲の戦友。勉強一辺倒よりこの位のほうが受験生活もストレスがない。
今日は初めて英語のヒアリングに取り掛かった。数年前、中古の壊れかけのポータブルCDプレイヤーを俺がチョイチョイといじって、ちゃんと音が飛ばないように調整してあげたものだ。まだまだ現役で使ってくれていて素直に嬉しい。
家で両耳にイヤホンをして勉強用CDを再生したほうが何倍も聞き取りやすいのは百も承知だ。だが受験というストレスフルな状況下では、図書館で短いイヤホンコードをふたりで共有する、といった遊び心が必要なのだ。
「よし、ちゃんと聞き取れてた。でもbとd書き間違って満点逃した」
「焦りは最大のトラップだぜ?」
「……いやドヤ顔に見合わず半分しか取れてないじゃん」
萩の苦笑に俺も笑う。外国語はあまり得意ではない。もう少し努力が必要だ。
「早く受験終わらねぇかな」
「中学ン時も陣平ちゃん言ってたね」
「興味のあることならいくらでも勉強するけど、クリスとアニーがクッキングする様子なんてどうやって興味持てっていうんだ」
「俺と陣平ちゃんに置き換えるとか?」
「んー?」
ノートやペンケースを鞄にしまい、帰り支度をする。長居しても集中力は続かない。当初の予定を終えた以上、他の利用者に席を譲るのも大事なことだ。忘れ物がないか確認して席を立つ。
「陣平ちゃん」
「何だ」
「俺受かるかな」
図書館のドアを押す重い音と、萩の低い呟きが重なる。二年のとき実家の工場が倒産し、道がぷつりと途絶えてしまった萩が漏らした弱音は、俺も似た感情を抱いたことがあるから素直に同情できる。工場を継がない道を選択せざるを得なかったが、進学していいのか、根本的にこの道が正しいのか、揺らいでいるのだ。自分が継ぐものだと思っていた道が大人たちの手によって、自分の手の届かない場所でどうにもならない形にされてしまう虚しさ。今でこそ萩の家は落ち着いているが、当時は上も下もないぐらい荒れていて、それでも必死に勉強と家事をこなそうとする萩の背中は年相応の小ささだった。背負える分量に限界はある。だからこそ、萩が許す限り俺はずっと一緒にいようと決めたのだ。ポンと肩に手を置く。
「俺と一緒にキャンパスライフ送るんだろ?」
「……うん」
「ほら。さっきのイヤホン貸せ」
寒い空気に包まれながら、いそいそとプレイヤーに繋がるイヤホンを装着する。俺が右耳、萩が左耳。ジャックから抜けないように鞄越しに密着して、プレイヤーの再生ボタンを押す。一問目はボブの家にタロー君がホームステイする初日のストーリー。
「受験終わったらこんなクソつまんねぇ英会話じゃなくて、流行りの歌聴こうぜ」
「あー。そうだな、トモちゃん聴きてぇ」
「そうそうその意気」
「陣平ちゃんも聴いてくれる?」
小首を傾げる姿に笑ってしまった。まるで大型犬のような恋人の頭をわしわし撫でる。
「当たり前だ。俺だってもっとくっつきたいんだからな」
「ヤダ積極的」
将来のおうちデートの誘いの意図はきちんと伝わったらしく、萩は頭を撫でる俺の手を取り、コートの袖に隠れた手首にキスを落とした。イヤホンのコードが外れないよう、耳を寄せ合う。コードを伝って心臓の音が聞こえるかもしれなかった。
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