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Xのワンライ企画より、お題をお借りしました。ありがとうございます。
萩松深夜のワンドロワンライ一本勝負
お題「ジューンブライド」
(第91回 2024年6月29日出題)
DS萩松。萩の母が喋ります。工場や萩宅の配置は勝手に考えました。ハピエン。
「ただいまぁ!」
機械音が響く工場の隅を通り、大声で挨拶をする息子たちに気づいた研二の父親が手を振った。濡れた水着やタオルの入った水泳バッグごと、にこにこ手を振り返し、研二は工場内の小さな事務室に顔を出す。
「ただいまぁ」
「……おじゃまします……」
「研二、おかえり。陣平君、いらっしゃい……眠そうね?」
内勤を担当する母親に帰宅の挨拶をする。母のいうとおり繋いだ陣平の手は熱くぽかぽかしており、平時くりくりとしている目を隠すように瞼が重く閉じられそうになっていた。
「今日プールだった!」
「それで陣平君、体力使い果たしそうなわけね」
苦笑する母の言葉に研二はこくりと頷く。小学五年生ともなれば体も成長してきているが、まだまだ体力の配分に失敗する年齢である。特に今日は最後の授業がプールだったため、加減知らずに泳ぎきってしまったのだ。
「おうち帰る前に道路で寝ちゃうといけないから、ちょっとうちで昼寝してきなよって連れてきた」
「どうろでなんか……ねるかよ……ねるならベンチでねる……」
もごもご反論する陣平の手を引っ張りながら、「公園で寝るのもダメ」と研二は事務室を横切り、工場の奥へ向かう。
「おやつはバームクーヘンあるから。お姉ちゃんの分は残しておくのよ」
「はーい」
幼い頃は研二が帰ってくる時間帯、母親は自宅にいておやつを出して宿題の面倒を見て夕飯の準備に取り掛かっていたが、学年が上がるにつれ鍵を開けるだけになり、高学年となった今では研二自ら事務室へ顔を見せて自宅の鍵を開けるようになっていた。積まれたタイヤの横を通り、工場の奥の扉を開ければ、自宅の敷地へ繋がっている。駐車場には父親自慢のスポーツカーが輝いていて、研二の憧れだった。その横には千速と研二の自転車が停められている。現在の大事な愛車である。玄関に回り、郵便物がないか確認して、慣れた動作で鍵を開けて、陣平を招いた。
「……おじゃまします……」
「いらっしゃい。陣平ちゃん、お昼寝する? バームクーヘン食べる?」
「ばーむくーへん……」
「おっけー。扇風機回してくれる? エアコン入れるね」
ランドセルを下ろしてぱたぱたと動き回る。エアコンのスイッチを入れて廊下と繋がるドアを閉める。陣平に頼んだ扇風機の風は、エアコンが効き始めるまで必須だった。
キッチンに回って冷蔵庫から陣平と自分の分の麦茶を注ぐ。母に言われたバームクーヘンの入った紙箱を取り出して、既に四つに切り分けられていたバームクーヘンを二切れ、皿に盛った。一昨日、親戚の結婚式に招待され、頂いたものだった。昨日八等分にして四人家族、一人一切れずつ食べた。今日また一人一切れずつ食べる予定で残されていたと思うが、陣平が食べるため事情が変わった。一切れは姉の千速が今日のおやつに食べるだろう。残りの一切れは夕飯後、じゃんけんをするか、更に四等分するか。千速の友人が訪ねてきた場合、そのおやつになるかもしれない。あまり深く考えず研二は残り二切れを丁寧に冷蔵庫へしまった。
「おまたせ」
そこに陣平はいなかった。
膨らんだレースのカーテンの向こうで座り込んでいる。座ったことで気が緩んで、うたた寝しだしたらしい。研二より一足早く扇風機の強風で涼み、カーテンが大きくなびいたことで風力を弱めてそのままなのだろう。バームクーヘンをテーブルに置いて研二は長座布団を抱える。
「陣平ちゃん、寝るならこっち! 床座ったままだと寝づらいでしょ! ほら座布団ふかふかだからあとちょっとこっち来て!」
即席の敷布団を用意され、研二の声にゆらりと陣平が揺れてこちらをわずかに向いたが、それきり動きはなかった。
「陣平ちゃん」
扇風機の風でふわふわと揺れるレースのカーテンを捕まえ、そっと持ち上げて陣平の姿をあらわにさせる。
「……」
綺麗だ。
湿り気を帯びた癖毛も、閉じられた瞼の縁の睫毛も、プールで焼けて朱を帯びる頬も、ふにふにの唇も。
研二を信じきってまどろむ無防備な陣平に、研二は見惚れた。
「……陣平ちゃん、花嫁みたい」
左手は肩に、右手は前髪を軽く梳く。
おそらく一昨日の結婚式の影響だろう。ベールアップしたあとの、誓いのキス。ジューンブライドだね、と周りに祝われていた花嫁。見ていてとてもドキドキした。
睫毛を揺らしてぼんやりと眼を研二に向ける陣平に、はっと現実に帰って息を飲む。
「おれが、はなよめ……?」
「えーっと、あの、カーテン! カーテンが花嫁のベールみたいで!」
軽く陣平が微笑む。再び瞼を閉じ、研二の右手を取って頬を擦り寄せる。
「……うん……、」
するりと研二へ上半身を委ねて、肩口に額を擦り付けた。体重を乗せてくる陣平を研二は慌てて支える。
「これはゆめ……」
小さく呟く陣平に、研二は何も言えなくなる。
くうくうと寝息を立てる陣平の寝顔を見て、「はーっ」とため息を吐きながら陣平と共に座布団へ寝転がる。ふたりで寝るには狭い座布団から肘が落ちて床が硬い音を立てたが、陣平が起きる気配はなかった。
「夢にされちゃった……」
同性を花嫁と称してしまったことを夢扱いされたのなら安心すべきなのに、なぜこうも、もやもやと不満が渦巻くのか。
「陣平ちゃん……」
この気持ちを定義づけるには研二はまだ若かった。ただ、幻視した花嫁が自分と同じ塩素の匂いを漂わせていることがちょっぴり嬉しくて、エアコンが効き始めた広いリビングで小さく縮こまってふたりで眠った。
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