http://kashima.kurofuku.com/%E3%81%84%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%BF/%E3%80%8E%E6%9C%88%E8%A6%8B%E3%82%8B%E4%B8%BB%E5%BE%93%E3%80%8F『月見る主従』
お月見のいおもみ。他のキャラは出てきません。
「綺麗なお月はんやわぁ」
今年の中秋の名月は満月の前日である。真円、あるいは真球かというと厳密には違うが、煌々と光る月は人の心を慰める。月を眺めながら、紅葉は団子を口に運んだ。ほのかな甘みのプレーン、中秋の名月の異名である『芋名月』に因んだ芋あん、そしてみたらし。大岡家御用達の京都老舗の和菓子の自慢の品々である。
「なあ伊織」
「はいお嬢様」
「綺麗やと思わん?」
のんびりと風呂上がりに縁側で月見と洒落こんでいる紅葉の今夜の寝巻きは、もみじ柄の薄紅色の浴衣。臙脂の羽織を肩から掛け、夜風から肌をやわく守っている。紅葉のために伊織が用意したススキが花瓶に生けられ、さらさらと穂を揺らす。広い庭園にある池に映るほぼ真ん丸な月も水面に揺れてるのを眺め、紅葉は芋あんの団子を咀嚼する。和室も洋室も使いたい時に自由に使えるのが大岡家の広い邸のメリットのひとつである。
完全なオフモードの紅葉とは対照的に、きっちりと執事兼ボディーガードの服装のまま、しかし伊織は目元を僅かに緩ませた。
「ええ。紅葉お嬢様のためなら死んでも構いません」
三十路を過ぎた執事の返しに、小首を傾げていた十代の少女はふふっと満足そうに笑う。
「ああ……あかん」
ツイ、と人差し指がみたらしの餡を掬い、手入れの行き届いた唇にそっと乗せた。
「汚れてしもたわ」
「……」
「なあ」
伊織。
紅葉を守るためにあちらこちらに設置された防犯カメラに音声を拾われないよう、餡を乗せた唇の動きだけで伊織を呼ぶ。真意を汲み取った伊織はそっと跪き、紅葉の体にはふれずに取り出した懐紙を口元に近づけた。
暗くてよく見えぬ……カメラ越しに見る警備員には宵闇を理由にして、紅葉に顔を寄せてきた伊織の影に収まったタイミングで、紅葉は目を閉じる。唇の餡がなくなった。懐紙でもなく指でもなく、湿った舌で舐め取られたのを感触で察した紅葉は、その一瞬、ほんの少しだけ唇を突き出す。
「……」
ふたりとも口元しか動かさない。静かに唇を離し、伊織が艷めく唇を懐紙で拭った。みたらしの餡を掬った指を差し出せば、伊織は恭しく手を取り、汚れていない懐紙で丁寧に拭き取った。
「取れました」
防犯カメラには伊織の計算通り画角的に唇のふれ合いは映っておらず、執事が令嬢の口元と指先を懐紙で拭っただけに留まっている。大岡家に異常事態は起こっていない。
夜風に攫われる伊織の体温がもの寂しい。それでも心はほんのり温かさを灯し、ふっと微笑んで白い団子を摘む。
「おおきに」
執事の立ち位置に戻る伊織に紅葉も変わらぬ口調で礼を言い、団子を食んだ。
「明日も明後日も毎日飽きるまで、伊織の味噌汁飲みたいわ」
「はい、お嬢様。仰せの通りに」
主従の戯れを月だけが見ていた。
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