http://kashima.kurofuku.com/%E8%90%A9%E6%9D%BE/%E3%80%8E%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%81%8A%E6%98%BC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8F『キスはお昼になってから』
DD萩松。エイプリルフールネタ。ハピエン。
「陣平ちゃん、ちゅーしようぜ」
「……んー……」
おや、と萩原は首を傾げる。場所は萩原宅、午前十一時、数日後から大学生活を送り始める十八の春。越してきたばかりの新居、親も姉もいない、せっかくふたりきりの空間だというのに、話しかけた萩原に見向きもしないで床に座ったまま松田は工具箱の整理の手を止めないでいる。
「……陣平ちゃん? 具合悪い?」
様子がおかしい。
キスをしよう、と恋人の可愛いおねだりを、松田は基本的に無視はしない。付き合いたての頃はそれはそれは奥ゆかしく謙虚で自尊心低くちっとも恋人然として振舞ってくれなかったが、大学に進学する段となっては悠々と胸を張って萩原の恋人の立場を誇りに思って歩んでくれている……と萩原は認識している。もちろん人前でキスなどしないし恋人繋ぎもしないが、仲の良い男友達の範囲内のことはーー肩を組んだり腕を組んだり、喫茶店で一杯のパフェを二本のスプーンでつついたりーー異を唱えず悪ガキのノリでやってくれている。『チッ、しかたねーな』、『おぅ、やろうぜ』など反応は様々だが、嬉しそうに、照れくさそうにちょっと頬を赤らめるのがいつも可愛らしい。室内、誰もいないふたりきりのときは、付かず離れず各々好きなことに打ち込み、居心地のいい距離感を保っていちゃこらちゅっちゅしていた。たとえ分解への興味が勝るときでも、ちゅっと軽くキスをしてくれていたのに。
体調を聞かれて、ようやく松田は目線を上げた。
「別に体調は悪かねぇけど……」
「けど?」
くるりくるりと器用にドライバーをペン回しの要領で回しながら、松田は言葉を選ぶ。
「……ほら、今日ってエイプリルフールだろ」
ぼそ、と呟く。
「嘘を真に受けても、騙されたほうが悪い日だし……」
ああ、これは。
萩原は悟る。松田の目は小学生時代を見ている。父親の誤認逮捕を受け、突然悪意に満ちた世界となった頃の記憶に引っ張られているのだ。あれから何年も経っているのに他人の言動に立ち止まってしまうぐらい深い傷が残っている。「ま、萩が変な嘘つくわけねーよな、悪ィ!」と笑顔を作る松田の肩を、萩原はそっと抱き寄せた。作った笑顔に合わせて声も無駄に明るい。
「なになに? そんなに俺とちゅーしてぇの? あ、ちゅーしたくねえのか……? えっと……」
「エイプリルフールはな、誰も傷つかない嘘であることが大前提なんだぜ」
ドライバーをゆっくり取って工具箱に置く。握るものがなくなって心の支えを欲しがる指をそっと絡めて、肩を抱いた手で胴体を引き寄せる。
「エイプリルフールだけじゃなくて……冗談は相手が笑えないとダメなんだ」
とん、とん、と背中を優しく叩く。緊張していた肩から少しずつ力が抜けていき、萩原の見えないところではーっと息が吐かれた。
「ま……そうだよな……」
「うん、そうだよ」
とん、とん。とん、とん。
恋人として付き合う前から、沈み込む松田を深淵から引き上げようと、よく抱き締めては心音を伝えてきた。
松田はいつものように萩原の肩にぐりぐりと額を押し付ける。
「『うち来る?』って誘いも困らせたよな、ごめんな。遊びに来てくれてありがと。エイプリルフールに嘘ついていいのは午前中だけって期限があったはずだから、お昼になるまで俺話しかけないね。そうすりゃ、俺の言ったことが嘘かどうか身構えなくて済むっしょ」
「……うん……」
助かる、と呟く松田を強く抱き締めたあと、解放した。
何があったのかは聞かない。どんな嘘をつかれて騙されて傷ついたのか、その記憶のせいで毎年世界中で嘘をついても許される四月一日を怯えて過ごしていたことは、松田が話すまで萩原は聞かない。松田が話せないことがあることを、萩原は特段気にしない。言えないことも言いたくないことも誰にだってある。恋人だからって全てを共有したいわけではない。春休みで新年度の準備で忙しくして毎年会っていなかったから気づかなかったのが唯一の心の凝りだった。もしかすると他人の嘘に翻弄されないために四月一日は家の中に閉じこもっていたのかもしれないが、それは想像の域を出ない。
「ちゅー……」
ぽつりと零された言葉を拾って、萩原は「いいよ、また今度気が向いたときで」と慌てて手を振るが、松田は「違くて」と制した。目を合わせるがすぐ逸らし、もごもごと口ごもる。
「あとで……もっかい誘ってくれ……ちゅー」
言い切ってドライバーを手に取ると、ぱっとまた顔を上げた。
「これは嘘じゃねーから!」
「うん、知ってるよぉ」
にこりと微笑めば松田は今更ながら照れてきたのか、カアアと顔を赤らめた。
キスまであと一時間。これから始まる四年間のキャンパスライフにおいて、午後を迎えるまでの時間など僅かなものだ。新生活の参考にと買ったファッション誌を開きながら期待に笑む。
昼になったら嘘偽りない想いを込めて恋人へキスをする。
それを思うだけで心は弾んだ。
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